子育てのお話 [2]

飽きっぽいは悪いこと?

 「うちの子は飽きっぽくてダメ」など世間では飽きっぽいという言葉は、悪いこととして使われています。

 実はこの「飽きっぽい」には、本当にダメな飽きっぽいと将来発展すると思われる素晴らしい飽きっぽいの2つがあります。

 1つはただ単に物事を続けることができずに、何も習得せず辞めてしまう悪い意味での飽きっぽい。そしてもう1つは、何でも自分から興味を持ちいろいろなことをやりたがる結果ひとつのことが続かない最高の飽きっぽい。
 後者の場合、より楽しいものや、よりおもしろい物事を見つけてそれに興味を示します。つまり興味のあるものがどんどん移っていく結果の飽きっぽいです。これは別の見方をすれば、興味を示した色々なことが経験となり、その中から大好きなことを見つけて生きていける人になる可能性が高い「飽きっぽい」です。

 私もかつてはそうでした。私は何もかも飽きっぽくて、多くの物事を途中で投げ出して中途半端で終わってしまう小学生でしたが、そんな中で植物のことだけはとことんやり続け、その結果それで生活することができています。

 要はやりたいことは何でもやらせて、その中から子どもが大好きなものを見つけ、それをとことんやり続けるならばそれで生活することも可能になるということです。

 このように飽きっぽいには、ダメな意味の飽きっぽいと良い意味での飽きっぽいの2種類があるため、ただ飽きっぽいと叱るのではなく、どちらの飽きっぽいかを見極める必要があります。あなたが飽きっぽいというお子さんは果たしてどちらの飽きっぽいなのでしょうか。飽きっぽいことは必ずしも悪いことではなく、いろいろなことの中からその子が何に興味を示すかを知るひとつの方法だととらえて興味のあるものを見つけ出し、それを伸ばす仕掛けをするのは親の役目ではないでしょうか。飽きっぽいを上手に使うことができたなら、おもしろいですね。

 もし多くのことに興味を示して、何でもやりたがるタイプの飽きっぽい子であるならば、あなたの導き方次第では、最高に優秀な人材に育てることができるかもしれません。 問題なのは何にも興味を示さないこと、子どもに興味を持たせるのは親の役割です。


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